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淡々は、必要

声の発信しているのですが、

四六時中エモーショナルぅな声や
めちゃめちゃ響く声で発信する必要はないと
思ってまして。

まあ、人それぞれの良さってものがありますから。

それを活かした発信であれば基本的には
いいと考えています。

とはいえ、バリエーションは欲しい。

淡々と話すなら、それが故に感情込めた語りが
ど~んと響くというもので。

淡々って、それはそれでとてもいい味だとも思いますし。

要は、様々な術を持ち、
それを駆使出来ればいいよねってこと。

その結果として、
色々な表現になればいい。


ただ、棒読みはなぁ、あれはどうかと感じる。


端的に言ってしまえば、
相手に向かって話し、伝えてれば、
もっと何がしかの表現になるんじゃないか。

暑苦しいと思うかもだけど、
そうした熱は必要だと考えている。

滲み出てしまう、何か。

的なね。


つらい時にこそ見返したくなるような、
そういった動画や音声ってあるんだよね。

僕は勝手に、そこから熱を貰って
なんとかかんとか進んでいるのだけれど、
それを表現する術を持ちたいと思うし、
その術を提供していきたいとも思う。

内なる熱があるなら、放つ術を持ちたいじゃないさ。

声にはそれが出来る。

そうしたものを、熱を。
言葉以前に表現し、体現し。
そこに言葉をのせていければと思う。

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