はじめまして、ガラと申します。
コンテンツビジネスのコンテンツホルダー向けに、
声のコンサルティングを行っています。
現在数名の方にZOOMなどのツールを駆使し
実際に指導をしつつ、
私自身も更なる探求と研鑽の日々を過ごしております。
実際に自分の指導を実行された方は
・自分の声への嫌悪感がなくなる
・表現力が上がり、複数のクライアント様から
「すごくわかりやすい」「イメージしやすい」と言われる。
・「自分がこう表現したい」と思った部分をかなり自由度高く操れる
・圧倒的に「雰囲気変わったね。話しやすい。」と言われるようになった
・連録りの際の喉の負荷が減ってかなり楽になった
・なんか歌が上手くなったww
と、非常に喜んでいただいております。
ですが…
まったくもって想定内です。
「声のコンサルティングを受けてみませんか?」
そもそもなかば強引ともいえる流れで、
私は彼に声のコンサルティングを打診しました。
彼は既に私からすれば圧倒的ともいえる実力者でありましたが、
それでも…
私からすると、足りないものがあったのです。
そしてそれを手に入れる事により、
彼の能力と魅力が加速することは
こんなんどう考えても完全に明らかである。
そうした確信が、私に実力差を鑑みない
ある種の暴挙ともいえる打診に走らせたのです。
いえ…
正直言うと、見てみたかったのです。
彼の姿を。
声の力を身に纏った彼の姿。
声の共鳴の力が、顧客を理想へ導く様を。
そうでなくとも屈強な彼が、
声の力をも手に入れた、その行く末を。
言うまでもなく、
コンテンツビジネスにおいて、
声というのは非常に重要な要素です。
文章では表現しきれない内容を事細かに
説明することは勿論、具体例を
声ならではの臨場感をもって表現する。
悔しさ悲しさ憤りなど、
声に込められた感情表現により
受け手側の思いを代弁し、
なかば消えかかったやる気に再び火を
灯すことすらをも可能でありましょう。
しかし、それだけではありません。
とりわけ属人生が重視される昨今です。
なにしろ無料情報がこれでもかこれでもかと
バラまかれる現状であり、
ちょっとまってくれ おいおいおい
流石に勘弁して…くれ…よ?
と言いたくなるほどのハイレベルな、
ちょっとこれ、どうやって競争すんのこれ?
という天井ぶち抜いたレベル感の情報すら
無料、無料、無料、無料、無料…
そして、だからこそ。
そうした状況を冷静に眺めてみたとき、
一つ必要なものが
見えてくるのではないでしょうか?
あなたである必要性を、声で示す。
声で、人は判断されます。
え?はいぃ?
っと思われましたでしょうか。
ですが…
これは、事実です。
声の時点で避けられないバイアスが入ります。
それは人の、もっと言えば生物としての本能由来のもの。
避けられない現実なのであり、そう
たとえば、ジャ○アンの声がなぜジャ○アンの声で、
ス○夫の声が何故ス○夫の声なのか。
彼らの在り方と、彼らの声。
そして、まわりを見渡して
現実世界における人と声の在り方の関連性。
ここをじっくりと
考えてみて欲しいのです。
そしてあなたの声は、
あなたのあるべき姿を
投影できていますでしょうか?
あなただけの大切な個を、あなたを、
声で体現できていますでしょうか?
いえ、それ以前に…
そもそも
それ、本当にあなたの声ですか?
人は、
かつて持っていた声の力を失ってしまったのだ。
私はそう考えるものです。
かつて当たり前に持っていた能力を、
とある切欠を境に、ゆるやかに失ってきてしまったのだと。
それが人の進化の一つの側面であると。
では
そもそももって、声とは何なのでしょうか。
話す為の手段?
何を?言葉を?
とするならば、
言葉を手に入れる前には、
人は「声」を手に入れてなかったのでしょうか。
もちろん、そんなはずはなく。
現時点においても言葉を持たぬ、
たとえばあまねく動物と同じく、
外部に対してなにがしかの
影響を及ぼす為の手段、表現として、
人は声というものを持っていたのです。
生きていく為に。
強く、しぶとく、生き残っていく為に。
ずっとずっとず~~~っと。
気が遠くなるほどのながきを、
声だけで色んなことを伝えてやってきたのです。
たとえば
(あ゛?ちょっと そこどいてくンねぇかな…)
って威嚇したりとか、
(めちゃめちゃ大切にすんぜ!)
って愛情を伝えたりとか
(んだぁ?こンのやろうがよぉ…?)
みたいに敵意を伝えたりとか…
そうして言葉なくとも声だけで
意志や意図を伝えてやってきたのです。
声だけでたくさんの情報が伝わるんですよ。
それでずっとやってきたんです。
しかし、人類に
とあるデカめの進化が訪れました。
それを手に入れたことにより。
つまりはそれに依存した伝え方になることによって、
人は声の力を失っていった…。
私はそう考えるのです。
もちろん、それがあったからこそ、
人はこれ程にも進化してきたのは事実です。
なにしろ、この文章をその組み合せで
構築させているわけで。
人が、手に入れたもの。
それは言葉。
私たちは言葉が故に、
そしてそれが余りにも強力であったが故に、
あろうことか言葉が声の力を失わせたのです。
言葉に依存した伝え方になることによって、
Wordに頼って伝えようとしてしまうことで、
知らず知らずとも、声で伝える事を軽んじて
長い長い年月そして世代を越え過ごしてきたのです。
それが声の力を失わせたのだと。
と同時に、こうも思ったのです。
今の私たちに出来る事。
足掻き。
「あえて、声のみで伝えるって事を試せないかな?」
「そしたら、もっと伝わるかも?」
「こんな自分でも、伝えられるようになるかもしれない」
もう何年か前の話。
ちょっとした好奇心でした。
私が声という、
現在のコンテンツビジネスにおいては
ちょっと突拍子ないであろう発信をすると決意した
のには、その後感じたもう一つ理由があります。
つーか
あまりに勿体ない人が多すぎる…。
そう感じたのです。
そう感じることが多すぎたのです。
自分がなまじ声のトレーニングを積んで、
(因みにトレーニングを始めた
そもそもは”歌”のトレーニングだったのでした。
そして先ほどお話ししましたとおり、
そこからわたしの好奇心でもって
話し声への転用を行い独自のロジック構築を
試みたのが事の流れなのであります…)
そして私が過去に
「声で引き起こされる苦労」
を味わい、そして克服してきたからこそ、
見える(聞こえるのほうがいいですか?wwww)
ものがあるのです。
とはいえ、その苦労。
じつは私本人はそれが声が故の苦労だとは
気付いてはいなくて。
私は、人に感情を伝えるのが
あまりにも、あまりにも不得手な人間でした。
いったい何人の人に
「お前は何を考えているか分からん」
と言われたことでしょう。
説明不足なのかな?と思って、
頑張って説明もしました。
勉強は出来ませんでしたが、頑張って説明しました。
けれども、ロジックを理解してもらっても、
それでも
「お前は何を考えているか分からん」
といのが、悲しいかな
もっぱら私の評価でありました。
「何が何だかワカラナイ…」
それが抗えない(今となっては この時は、ですがね…)
私の「確定した」人物像そのものでありました。
あの頃は、ぜんぜん、まったく、
何故そうなってしまうのか
意味が分かりませんでした。
何故理解されないのだろう。
何故分かってもらえないのだろう。
何も伝わらない、伝えられない、
圧倒的無力感と孤独感。
苦しい、辛い、圧倒的ぼっち感。
親を恨み、クラスメイトを恨み、自分を恨みました。
しかし、今なら分かります。
おそらく、あえて尋ねるのも
悲しい位に、
自分が気味悪がられていたことも。
とてもやるせない事ではありますが。
実際私は、そうだったのでしょう。
声で表情が顕されない地獄
かつての私は、あまりにも
能面たる人物像であったのでしょう。
色々な人を恨めしく思ったものですが、
今はむしろ「迷惑かけてスマンかった」
と、思える位にはなりました。
私の抱えていた声の問題。
圧倒的表現力不足、彩り不足。
画一単一化の極み。
ザ・声の無表情。
これが解決したことで、驚くべき変化が起きました。
私を取り巻くおよそ全てが変わりました。
会社でいつも謂れなき難癖を押しつけられていました。
同級生からの扱いが悲しい程”軽く”て、
その理由が分かりませんでした。
親からも何考えてるか分からないと言われて育ちました。
何が起こっても何故か「私のせい」になってしまう
謎の空気感がありました。
まだまだいっぱいあって書ききれません。
それらが
すべて、
声で変わったのです。
「話し方」ではありません。
それは枝葉。
大切なのは、「話し方」ではなく、
前段。
「話し方」ではすり抜け落ちる何か。
それを拾い上げて大きな成果とするのは、
つまるところ「声」そのものに対する意識と
表現技術の習得に他ならなかったのです。
話し方だけを求めた先にある悲しきもの
昨今、たとえばセールスにおいて、
あらためて声の大切さが説かれつつあります。
そもそも声とは、外部に対する影響力の行使
に他ならない以上、
なるほど声とセールスの関係性は
切っても切れないものでしょう。
しかし、声の要素分解すらせずに
「話し方」を学んだところで、
悪くすればうさん臭さが積もるばかりとなりかねません。
よもや
そこに足を踏み入れようとしている人はいませんでしょうか。
そんなん台無しだぜ。
そう私は思うのです。
私のメソッドは、「自然にそうなる」を重視して、
そしてその上で「ここちよさ」や「楽しさ」を
どしどし入れ込んで、例えば好きな歌で遊ぶような
内容もカリキュラムに入れ込んで構築してあります。
その楽しさの上で、声のコンサルを受けた方には
・コンサルの際に声で引き出せる情報が増した
・相手に考えが伝わりやすくなった
・抑揚がつけられるようになり、表現力が増した
・コミュニティーにおける人と人の関係性が把握しやすくなる
・コンサルやコンテンツ内で「要所」の部位を非言語で伝えられる
・相手の感情の変化に敏感になる
といった変化が起きています。
時流はVSLの時代へ…
ビデオ・セールス・レター。
既に欧米を席巻する主流となっているこの流れ、
すでに日本でも始まっているのをご存じでしょうか?
人々の活字離れもあるのでしょう、
かつての縦長の延々と最果てまで続くかのようなセールスレターから、
体力集中力の消費が少なく頭に入りやすい音声を駆使した
VSLが、確実にちまたをのしてきつつあります。
シンプルに、長いセールスレターに耐えられなくなった、
時代の必然なのかもしれません。
あーあと、音声だとあんまり売込みっぽくなんねーんですよね。
先だってより声のコンサルを受けている彼も、
今後本腰を入れてVSLに
取り組んでいくとの情報も入ってきています。
それが一体どのようなものになるのか、
シンプルに楽しみで仕方がありません。
そして私自身も、
声のコンサルティングを続けつつも、
ビジネスの現場での声の活用に注力していこうと思います。
勿論、それは濃厚な叩き上げのノウハウとして
コンサルティングに還元されていく事でしょう。
声の可能性を感じていただきたい。
私のではありません、あなたのです。
あなたの 声の 可能性。そして未来。
私に関わることで起こる
貴方自身の声と、
それにともなう変化に、
是非ご期待いただきたく思います。
さて、まずはここまで長々と読んでいただき、
本当に本当にありがとうございました。
以上最後にご挨拶と、
お知らせを少しさせていただきます。
現在、公式ラインにご登録いただいた方に、
期間限定で無料にて声診断+アドバイスを
させていただいております。
自分の声の、まだ見ぬ魅力に触れてみたい方は
是非是非公式LINEにご登録ください。
【自分の声の魅力を発揮して輝きたい方はこちら↓】
そこが変化の起点となります。
あなたと、その影響下にある顧客も、勿論。
(声の影響力って、伝播するんすよね。
この辺についてはまた改めてお話しします…)
ご登録いただいた方には、
更なるご優遇も検討させていただきますので
この機会に是非あなたの
理想に向けて
すいすいっと変化し始めちゃってください。
P.S.
これはあくまで声の共鳴の要所を抑えた後の
話になるのですが…
声の力を一気に加速させる秘訣は、
実はカラオケであると考えています。笑
ポイントを押さえた状態での
カラオケ武者修行は笑えるほどお奨めなんですよね。
シンプルな話です。
要所を捉え、集中強化の流れが作れると、やはり強い。
楽しいから、続く。
だからこそ、成果が出る。
そんないい流れを作っていき、
一緒に成長していきたいものですね。
あなたも、あなたの顧客様も、勿論。
周りを巻き込む良質な変化こそが、声の力なのですから。
【自分の声の魅力を発揮して顧客とっての特別になりたい方はこちら↓】